機関誌紹介


駿河療養所は昭和二十年六月に傷痍軍人ハンセン病施設として開設され、多磨全生園より二次にわたり九名、邑久光明園より二十五名、長島愛生園より二名、菊池恵楓園より三名、松丘保養園より二名、東北新生園より一名、近隣陸軍病院より二名、計四十四名が「療養所建設に耐えうる比較的元気な者」との入所条件で、文字通り終戦間近の国民総窮乏生活のなかで建設部隊として駿河の地に大きな希望と気概を抱いて開拓のため入植され、今日の駿河療養所の礎を築いてこられました。 開所当時は設備不足、食料不足、建設のための重労働と農園開拓等、物資不足と厳しい労働条件を強いられ、療養というより文字通り建設のために入所されました。開所当時の入所者は、あまりの過酷な環境のために出身園に帰るか、また、他の療養所に転園することなどを真剣に考えたと記録にあります。今日の駿河療養所は、まさに血の滲むような先輩たちの建設に携わられた苦労のもとに築かれたものです。以来五十四年以上が経過いたしました。現在の駿河療養所の建物、生活環境、医療環境、福祉環境、どれをとっても当時をしのぶよすがはありません。しかしながら、私達の平均年齢は既に七二歳、入所者数は一九三名(男性一二四名、女性六九名)となりました。富士山が茜色に染まり夕陽がまさに富士山の彼方に沈まんとして神々しく輝いている。それが現在の駿河療養所の姿のように想われてなりません。今後、時間の経過と共に茜色はやがて薄墨色となり、ハンセン病療養所としての終焉が日々近づいております。私は、僚友の棺を葬送するたびに、遺影に向かって「あなたはどの様な想いで療養所に入所しましたか、駿河療養所での療養生活をどんな想いで過ごされましたか。悲しかったこと、苦しかったこと、楽しかったことはなんでしたか」そう問いかけて線香を手向けます。駿河療養所には昭和二十四年より昭和三十五年までの約十年間余に亘って自治会機関誌『芙蓉』が発行されておりました。当時の平均年齢は四十代であり入所者数も四百五十名前後でありました。その機関誌は主に、文芸投稿を主に療養生活の折々が綴られた文芸誌的性格のものでした。何故十年余で休刊となったのか定かではありませんが、その後は俳句会『芙蓉』と言う表題で数度発行されていた記録が残っております。それ以後は、駿河療養所の出来事や療養生活について記録したものは皆無に等しい状況で今日まで経過しました。「らい予防法」が平成八年三月三十一日に廃止されました。入所者の人権を侵害し、偏見、差別の根源とまで言われ、予防法が存在すること自体、国の恥であるとまで指弾された隔離政策から私達はようやく解放されました。遅きに失した廃止でありますが、いわゆる終生隔離の法律から解放され基本的人権は回復されました。しかし、八十九年間に及ぶ隔離政策は、ハンセン病に対する根強い偏見と差別意識を醸成してまいりました。私達は「ハンセン病元患者がいなくなるとき、偏見と差別意識も払拭された」そう言える社会環境を願って、折に触れて啓発活動を行って参りました。会長就任後『会報するが』を毎月発行して、その月の主な動きについて新聞形式で発行してまいりました。しかしながら、限られた紙面では、月々の出来事紹介にとどまり、開設以来五十四年有余の検証と記録は活字として紹介出来ない限界を感じておりました。会長就任以後、記録的に来後世に残せるものは発刊できないだろうか、そのための駿河療養所の「機関誌」発行を是非実現したいという想いを強く抱いておりました。
主にその内容は、

@駿河療養所の開設前後の経過について散在している資料と戦時下で
の地域の人々の療養所建設についての意識等記録して整理をしたい。

A駿河療養所で入所者がどの様な想いで療養してきたのか活字として後生に残しておきたい。特に歴史の生き証人とし て、現在も健在な入所者の方々の生の声を聞き 書記録 として留めておきたい。

B昨年で自治会が創立されて五十周年が経過 しましたが、この五十年の 入所者自治会「駿河会」 の闘いの記録を整理しておきたい。

Cハンセン病に対する正しい認識を普及する ための啓発活動の一助として、地域の方々に療養所とハンセン病の今に ついて理解を していただ きたい。

D新入所者が「廃止法」により存在しなくな った状況下で毎年入所人員が減少しております。私達が築いてまいりましたこの駿河 療養所を将 来、どの様に活用してゆくのか。また、三百十四 名の物故された先輩の眠る納骨堂をどの様に維持管理してゆくのか。その討論の場としても、この機関誌紙上を是非とも 提供してまいりたい。昨年十二月に全国十三の友園に機関誌発行の有無と発行にあたっての問題点について調査依頼をいたしました。各園の御協力により回答をいた だきました。その結果、機関誌を発行することの困難さを改めて痛感いたしました。調査では、原稿収集の困難さ、発行経費の捻出難、編集委員会の構成態勢の難しさなど、各園共通の問題が存在する事が判明いたしました。自治会の数次の検討と施設当局の理解を得て、ようやく編集委員 会の発足をみることができました。最初から困難を抱えての発刊でありますが、今残さなければとの共通の認識のもと努力を傾注して参りたいと思っております。入所者、職員、地域市民の皆様、駿河療養所をご理解ご支 援をいただいております多くの方々の積極的な投稿とご意見をいただけま すようお願いし、発刊の挨拶と致します。
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